2017年8月8日火曜日

2017年5月13日土曜日

世間常識の呪縛から解放されて踏み出すということ

大なり小なり、私たちは問題を抱えて日々を過ごしている。
こんな他人や社会の課題解決を考える業種にいながらも、自分もたくさん課題を抱えている。
抱えていないという人がいたら、問題を問題として捉えていないだけとも言える。
生きることと課題を抱えることは同義でもあると思う。

で、仕事のように割り切れるものではない、人生そのものの課題は、大抵どうやったら解決できるのか、解決の可能性があるのか、いや、果して解決をすべきものなのかも含めて、存在する。
あまりに根本的すぎる場合、手のつけようがないと私たちは思い込んでいる。
しかし、それを放置することは、年を取るにつれてごまかしがきかなくなって、どんどん重くのしかかってきて、精神的にも追い詰められてくることになる。

解決できない踏み切れない理由の多くは、社会の慣習であり、世間体であり、現在の既得権を保持したいということであることがわかってくる。

しかし、先に述べたように、本当に追い詰められてくると、それに押しつぶされるのを待つのか、上記のような「理由」よりも、自分を優先させるのかの判断に迫られることになる。

本当に自分を大切にすること、今生の生を悔い無きようにするには、自らストップをかけている呪縛を解き放って、踏み出すことしかないと思う。

それは人生の一つの岐路であるけれど、そこでやらない判断しない踏み出さないことは、きっと最後には後悔しか残らない。
だから、優先順位を変える決断をする。

転職とかもこういうものに当てはまるけれど、時としてそれ以上に重要な人生判断は、ある。
人から何と言われようと、人生を本当に大切にするならば、何をすべきか。

いま、それを実感している。

2017年5月4日木曜日

6年越しの再会と反省

先日、FBで災害VCサイトリニューアルと公開投稿したものに反応くださった方の名前に見覚えがあったので、もしや…とメッセージと友達申請したい旨を送ったら、お返事がきた。
その返事に、素直な気持ちで笑みが漏れてしまった。
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彼は、2011年3月11日に、私の部署に着任した。
担当して開発した「社協の杜」というポータルサイトの日々の運用をメイン業務のIT専門の男性の派遣職員だった。
その日、午前中、彼に会社と業務の概要をお伝えし、そして、14時46分を迎えた。
それからの正確な記憶がないが、都内の交通網はダウンして、多くの職員は夕方には腹をくくって社で夜を越した。
派遣1日目の彼も同じ目に遭い、見知らぬ会社に泊まることになった。
翌土曜日、朝から対応に追われながらも一人また一人と帰宅していったが、京葉線の再開が最も遅かったこともあって、自分は最後に社を退出し、帰宅は夜だった。
そして浦安の惨状を目の当たりにし、夜中市内を自転車で徘徊した。
翌日曜、朝から事務所で対応に追われる中、始業時間に何と彼が現れたのである。
正職員でも出勤しているのは一部だというのに、自己判断で出勤された。
「電話を受けるだけでも助かるので、一日付き合ってもらえますか?」
猫の手も借りたい状態が大きく救われた。
寡黙でとても生真面目、PC担当でありながら、あの混沌とした中、自発的に電話を受けるためだけに来てくれた彼。
こちらも余裕がないので、その後も彼には本来の業務をきちんと伝えることもできないまま、この災害対応の部署でフォローをし続けてくれていた。
自分などは、早々に次の月曜日にダウンして出勤ができなくなってしまった。
徹夜状態は3日ともたないという自分の弱さを、彼は支えてくれた。
にも関わらず、当時は全くその有り難みに気づくことが出来なかった。
そのことは、2か月ほどした時だろうか、「辞めさせて欲しい」という彼の打診を受け、初めてあまりに彼をぞんざいにしていた自分に気づかされた。
二人で話し合いの時間をもって、「頼むから辞めないで欲しい。これまでどれだけ助けられたか。自分の態度も本当に反省している」と懇願した。
彼は踏みとどまってくれ、自分が異動した後もその役割を担ってくれた。
そして我が社から去って、5年の月日が流れての今、期せずしてやりとりができた。
彼は、うちで働いた少しの間の経験に触発されて、社会福祉士の資格もとったり、福祉の勉強をされているという。
リニューアル前のあのサイトも彼と一緒のスタートだったから、サイトのリニューアルは彼にとっても感慨深くて反応をしてくれたそう。
新しいサイトを褒めてくれた。
嬉しかった。
Facebookの使い方やコミュニケーションに自信がないので、自分からシェアをさせてもらうだけで勘弁して欲しいという。
彼の厳しい自己評価は彼の誠実さそのものであり、異常な空気に満ちた未知の派遣先に、あの日曜日に自発的に出勤をして支えてくれたという一点においても、彼は素晴らしかった。
当時の自分は余裕ない中、そんな彼をたくさん傷つけたのだろうなあ、という思いが甦ってきた。
でも、こうして思わぬ再会が果たせた。
私にとって、Facebookは、過去現在未来を繋いで、様々な思いを甦らせ、自分を見直す機会や、時には人生の転機となる出逢いも作ってくれる、不可思議な予測不能の場になっている。

2017年4月18日火曜日

「運は動より生ず」(易経)

今日、本を読んで素敵な言葉に会った。

「運は動より生ず」(易経)。

運を良くするには、動き回ることが大事という。

自分に置き換えると、とにかく動き回ったこの間、体調も基本的に崩れることもなく、多くの幸運が自分の周りに起こった。

偶然でなく、何か無意識の自分の動き回った言動が運を呼んだとすれば、それは素敵な考え方かも。

2017年4月17日月曜日

4/14から、行き方の見直し

自身の生き方、発言、本当に見直さないと。

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。
信頼する人へも含めて。

品格を落としてきた自分に気づかされたんだから。

教えてくれた、気づかせてくれたこと、有り難いこと。

2017年4月11日火曜日

その人を思うと…

具体的に支え、支えられる人がいる。
その人に思いを寄せれば寄せるほど、これまで書いてきた文章を他人様によんで頂くことに躊躇せざるを得なくなることに気づく。
彼が彼女が今これを読んだらどう思うだろう?
報告系以外、発信できなくなった。

2017年2月26日日曜日

愛語は肝に銘じ、魂に銘ずる

人を褒め、共感する言葉「愛語」は、巡って本人に届くことがあります。  
直接耳にするのはもちろん嬉しいし、面と向かわないで巡り巡って伝わってくる「愛語」も、心に深く響いて忘れられません。
哀しい哉、人は承認を求める生きもの。
他人の目を気にしてばかりでは情けないですが、とはいえ信頼している人、尊敬している人から頂ける愛語は、どんな贈り物よりも嬉しい。
最近、続けて愛語を頂く幸せに預かり、深くそう思いました。 

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【道元禅師「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法より】
面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。
面(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず。
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
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「愛語」は肝に魂に刻まれます。
ひいては、世の中を動かす大きな力さえ持つ。
適確に言い得たこの教えは、800年前の智恵です。
先人の偉大さが染み入ります。

能登半島は輪島市秘境西保海岸の築280年の古民家で、波の音の中で憶いに耽る夜です。

2017年2月22日水曜日

西村幸吉の生涯が伝えること

戦争や平和の具体を突きつけられると、人生とは何なのか、生まれた時代が悪かったで終わりなのか、人間自らの「業」の結果は、天災さえも霞む程の悲劇をもたらすことを繰り返す他ないのか、考えさせられ苦しくなる。

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オーストラリアの副読本に採用されている、日本人の話があるという。
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昭和17年、ニューギニアの戦場で小隊40名中、その人西村幸吉一人を除いて戦死した。
九死に一生を得てラバウルに脱出した時、入隊時73キロの体重は28キロになっていた。
終戦の昭和20年の25歳、ニューギニアの仲間の骨をいつか拾いに行きたいという条件を伴侶に伝えて結婚した。
三男一女を授かり、機械製作所を立ち上げ順調に経営してきたが、59歳で仲間の遺骨収容のためにニューギニアに移住することを決意するも、家族と決裂、工場を含めた財産を妻に渡して離婚。
以来、西村は死ぬまで家族と会うことはなかった。
妻のことを尋ねられても「名前さえ思い出せない」。
それから85歳までの26年間、5億円の私財を投入して、ひたすら遺骨収容だけに全てを奉げ、300体の遺骨を収容した。
その西村の言葉。
「家族を失うことは大変なことだと言うかも知れませんが、ニューギニアで死んだ兵士たちが払った犠牲に比べれば大したことはありません。彼らに比べれば、こっちは極楽で暮らしているようなものです。あの兵士たちは地獄へ放り込まれて死んだんです。自分は運が良かった。本当に恵まれていました。戦争が終わってから、まともなものを食べ、行きたいところに行けるようになり、自由になった。自分の状況を彼らと比べたら、骨を掘って26年を暮らしたことなんて何でもない。ほんの些細なことですよ。死んだ彼らを思えば、これくらいして当然です」
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一時の感傷や多少の罪悪感などで出来る所業ではない。
他人からの評価や承認欲求が最大の関心事の世界とは、真逆と言ってもいい。
国内での三十余年、どんな思いでいたかは、想像を絶するものがある。

オーストラリア人のこの著書はベストセラーとなり、教材として、彼の地の高校生の多くは西村幸吉を知っているという。
私たち日本人は、知らない。

なぜ、この話が教材になるのか。

私たち現代日本人は、この話を家族を犠牲にした“誤った人生”という評価しかできないのではないか。

目の前の損得勘定で、岐路の判断をすることに疑念を持たないことが普通になってしまっている。
「生」を実感として考えて、一番大切なことは何かを間違わないことを、私たちは常に確認していかないと、大衆の総意という名の下に取り返しのつかない判断ミスを犯す危機を感じる今日日。

「一億総○○」など、危険この上ない思考停止の標語だと思う。
“福祉”は、とかく総論賛成の魔法の言葉として使われがちなのも怖いと思うことがある。「制度だから」「国が謳っているから」で本当に良いのか。
職場で空気の如く飛び交う言葉に、思う。

2017年2月17日金曜日

四苦八苦から今への因縁生起を考える

広い温泉旅館の迷路のような所をあちこちウロウロしていると、すれ違う集団の中から“2歳くらいの息子”が自分を見つけて、お父さん!と嬉しそうに抱きついてきて離れない。
その一点の曇りもない信頼感だけで身を委ねる息子のぬくもりと重さに、涙が止まらなくなって目が覚めた。
ごく稀に、眠っていて夢との境目がなくなる場面で、堰を切ったように涙が止まらなくなることがある。
中2・小5にもなると、子も親同様それぞれが自分のことで忙しい。
でも子ども達はふとした瞬間に、幼い頃のような接し方をしてくる時がある。
気づかずにさっと流してしまって、後で、あ、しまったと思ったりする。
自分がこの世に生まれてきたのはこの子たちと出会うためだったと確信していた10年前のあの頃を、今朝の夢は突然思い出させてくれた。
時折、夢は現実以上にリアリティをもつ。

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捨て身でヤケを起こして日々を過ごしているな、と思う時がある。
そんな時、失うものなんて所詮何もないとも思っている自分がいる。
それは、どこかに自己嫌悪と、求めるものを得られない(求不得苦)、どうにでもなれという気持ちに原因があることを自覚している。
仏教の四苦八苦は究極の真理で、生老病死に加えた4つは、苦しみの中身はすべてこの4つに尽きるではないか、と思う。
・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

しかし、すべては繫がっていて、これまでの文脈や無数の縁があるからこそ、今の自分があることを忘れてしまってはいけない、ということを、今朝の夢が思い出させてくれた。
涙は、愚かさやこだわりを洗い流す効用があるのかもしれない。

2017年2月14日火曜日

背中を見せる生き方をする他ない

勢い余って表現の度が過ぎて、自覚無く傷つけてしまい愕然とすることを、経験しました。
その時は、何とか誠意を尽くして理由を説明したい、好ましくない表現をした自分の行為を謝って和解したい、とその問題解決方法を模索してもどうにもならなかった。

かわって、災害支援の現場にて。
凄いスピードで一種興奮状態でのやりとりが続く中、ある人はこう言っていた、批判していた、というような伝達が本人不在の中で飛び交う。
伝えるインパクトを強めるために修飾語がついて話は膨らんだ挙げ句、別ルートから自分の言動として尾ひれがついたそれを聞かされ、「そんなこと言ったこともないし、ニュアンスがむしろ反対になっている…」とショックを受けたことも一度ならず。
急に自分への態度が余所余所しくなっておかしいなと感じて、探って初めてわかったりする場合のやるせなさ。
無数の人々と短期間で覚えきれない量の会話を交わして疾走し続けると、必ずといっていいほど発生する行き違い、誤解です。

また、不正なこと、卑劣なものを目の前にして、黙っていられない。そこでの振る舞いが過ぎたことで悪者がこちら側になってしまう。

自分が話題の渦中に置かれてしまえば、誤解を正すことはほぼ不可能です。

じゃあ、大人しく他人に陰口叩かれないよう自己保身に生きる道を選ぶのか?
それは自分が許さない。

これまでも、話し方や伝え方を悩んできましたが、解決策はそうありません。
今も、我が至らぬ振る舞いが本位でない受け止めをされて「誤解」や「歪曲」に苦しむことに陥る。
そういうことが起こるのが、悲しい哉現実。

そんな中で、ある文章に救われました。
これは、目から鱗の回答でした。
そう割り切った答えがあるとは思いもよりませんでした。
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『たとえだれかを傷つけてしまったとしても、自分のせいだとか、あまり考える必要はないと思います。それを思い悩む必要はありませんし、自分がつらく悲しい気持ちになる必要もありません。誤解されていることに関して、一生懸命相手に事情を説明して、わかってもらいたいと思うのはやめましょう』
『ただひたすら後ろ姿を見せて、「あー私は、あの人を誤解していたかもしれない」とその人に思わせるような生き方を、これからしていけばいいと思います』
『死ぬ前に誤解が解けなくても、それでよし。誰かに誤解されても、それをどうしても「解きたい、解きたい」と思う必要はありません。誤解されたとしてもいつかはわかってくれる、と思いながら生きていけばいいのではないでしょうか。』
〔小林正観著『すべてを味方 すべてが味方』(三笠書房)〕
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今の私は、この言葉を拠り所にしています。